愛情
青森県のガラス工芸品、
津軽びいどろの美しさに魅了され。
最近はステンドグラスもそうだけど、
ガラスの作品にすごく惹かれる。
小さい頃から通っていた教会を思い出す。
教会に行けば、友達にも会えるし、好きな歌も歌えるし(讃美歌)、
毎週行くたびに、地域のたくさんの人に優しくしてもらった。特に、おばあちゃん方にはとても可愛がってもらった。いつも手作りの小物をもらったなぁ。
あの頃は、教会は楽しい場所なんだと深く考えずに通っていたけど、いまは
「地域の人々に愛情深く育ててもらった」
そんな思いでいる。
そして最近、ふるさとが同じ方や
学校の先輩に声をかけてもらうことがあって、より「ふるさと」について考える。
秋田の中でも、生まれ育った場所、よく訪れた地、お世話になった人がいる街、いま住んでいる土地、人。
愛情を注いでくれたあの人たち。
わたしが大人になったいま、もうすでに亡くなっていたり、高齢になっている。
小さなわたしが、ふるさとでたくさんの愛情をもらった人たちへの恩返し。この気持ちを形にしたいなと思う。
何歳になっても、
生きがいを持って生きてほしい。
地域と繋がって
一緒に生きていることを感じてほしい。
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杖をつかわないと歩けなくなった祖母が、
「わたしがいても、ひ孫になにもしてあげられない」
そう小さくつぶやいたとき、胸が痛くなった。
本来はね、何もできなくたっていいのに。何にもできないわたしや孫の世話を、これまでたくさんしてくれていたのだから。祖母が元気に暮らしているだけで、それだけで、嬉しいのだけれど。
でもだれだって「必要とされている」「何かしらの力になれている」そう思いたいのだとも思う。それはとてもよくわかる。
だからたまに、文章表現の相談をしたりね。(祖母は元国語科教師)
96歳でも、本当に本当に勉強になることばかり。たくさんのことを経験し、何事も勉強なのだと探究して生きていると、祖母の話を聞いていて感じる。
あ、ちょっと話がそれちゃったけど。
歳を重ねても、よりよく生きられる社会とは?
これは、わたしたちが向かう先の未来の話でもあるから。なにか、社会づくりに貢献できたらいいと最近強く思う。
少しずつだけれど、できることから進めていきたい。
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